今日は振替で中1の授業があったので、ブログを更新する。昨日書いた分を今日更新したので、今日の日付で2個のブログが更新されているが、そんなのは御構い無しだ!笑
この前読んだ本に、『怒る』ことと『叱る』ことの違いについて書いてあって、なるほど、と思わされることがあった。
一般的に、怒ることと叱ることについて、しっかりと理解した上で区別ができている人は少ないのではないだろうか。(読んでる方で、いやいや私はしっかりと区別ができているよ、と言う方がいたらすみません。)実際僕自身もそんなこと気にもせずに普通に怒っていた(笑)
今回読んだその本の中での定義が納得できるものだったので、ここにあげようと思う。
その前に、『怒る』と『叱る』と言うことについて、国語辞典的観点からはどのように捉えているのかを、ここで紹介したいと思う。
使った国語辞典は、塾にも置いてある『新明解国語辞典』だ。「辞書は、引き写しの結果ではなく、用例蒐集と思索の産物でなくてはならぬ」(初版・序文)という考えのもと、鋭い語釈、実感溢れる用例が売りの日本一売れている国語辞典だ。
引用結果を下に示す。
怒る
①我慢できなくて、不快な気持ちが言動に表れた状態になる。
②目下の者などのやり方が悪いと言って、強い言葉でしかる。
(参照 : 新明解国語辞典 第七版)
叱る
相手の仕方をよくないといって、強く注意する。
(参照 : 新明解国語辞典 第七版)
正直、似たような意味が出て来た(笑)特に、『怒る』の②の意味に関しては、『しかる』と言う言葉が意味の中に登場している。
ここでは『怒る』の①の意味だけを切り取って考えたいと思う。それで考えた時に、国語辞典によれば、感情的な方が『怒る』、理論的なのが『叱る』といったところだろうか。
では、その本における『怒る』と『叱る』の定義はそれぞれなんだったのか。それはこうである。
怒る:自分のためにすること。
叱る:相手のためにすること。
もっと詳しくいえば、『怒る』ことは自分の不満や悲しみ、憎しみなどの負の感情を相手にぶつけること。『叱る』ことは相手の不十分な点に対して、改善を求めて指摘すること。
確かこんな感じで書いてあった。これを見た時に、僕はなるほど、と思ったのである。
さらにその本の中には、子どもに『怒る』のは間違っている。自分の怒りをぶつけるのではなく、子どものために『叱る』べきである。というようなことが書かれていた。
『怒る』ことと『叱る』ことにおける解釈は納得するものがあったが、最後の部分はいまいち納得できないものがある。
確かに毎回毎回の指摘は『叱る』ことであるべきだと思う。
ただ、必ずしも『叱る』であるべきかといえば、そうではないと思う。
僕たちだって人間だ。悲しい気持ちになることもあれば、怒りを感じることだってある。闇雲にぶつければいいものでもないが、どうしてもその感情を伝える必要がある時だってあるだろう。
大人がこんなにも怒っているんだ。それだけの行為をしたということをしっかりと理解すべきだ。
裏切られた時、嘘をつかれた時、頑張る雰囲気の中、それに背く行為をされた時。
これらの行為は十分に怒りの対象だ。
だから僕は今後も『怒る』と『叱る』の違いを理解した上で、両方を併用していきたいと思う。(『怒る』場合はあんまり後先考えていないが。笑)
目指せ教育界の二刀流だ(笑)