2019年7月19日
  • 福岡市東区香椎にある、小学生、中学生、高校生を対象とした進学塾

台風なのだが、結局塾にきた。午前中は風や雨が強かったので、今日は行くのやめようかとも思ったが、大したことなさそうだったので、行くことにした。

風とか雨よりも、とにかく寒い。

これまで通りの格好(半袖半パン)で外に出てきてしまったのが原因だ。駅について電車を待っている時に、今日は寒すぎることに気づいた。気づくタイミングが遅すぎる気もするが、まあ仕方ないだろう。

 

今日はそれもあって服装について考えてみようと思う。

大学3年ぐらいから、遊びに行く時以外はあまり服を気にかけなくなった。

男子の場合、大半は小学生の間は服に無頓着だが、中学生ぐらいになるとそこそこみんな気にしだす。僕らの時代は、ワンポイントで入ったショッキングピンクなんかがヤンキーっぽくてかっこいいみたいな風潮が若干あった(笑)

そんな時代を経て、高校時代になると落ち着いた服装でのおしゃれさを求めるようになり、芸術的センスのかけらもない僕はかなり苦労した。

そして大学生になると、おしゃれへの意識の上昇は加速する。

高校時代よりもはるかにお金の余裕ができるので、高い服に手を出し始める。もはや高い服が本当に支払っているお金に見合うだけの価値があるのかも分からず、ただ、ネームバリュー欲しさに高い服を買っていた感じだ。

やっぱり僕もただの大学生男子だったので、男の生涯の目標である『モテること』に必死だったのだ。いい服を着て、外見にしっかり気をつかっていればモテる。当時はそう思っていた。いや、実際にそれも間違いではないと思う。

僕は女子ではないので、本当の答えなんてのはわからないし、女子もみんながみんな同じ答えではないので、外見をしっかり作ればモテるというのもあながち間違いではないだろう。

 

でも、大学3年生ぐらいの時に気づいたのだ。

「俺、外見ばっか気にして逆にカッコ悪いな。」

それ以来、あまり気にしすぎないようにした。

実際、僕の周りのカッコいい人たちは、外見ばかりに重きを置いていなかった。内面から溢れ出すものが違う。それなのに僕が外見ばっか気にしすぎるのダサくね?ってなったのだ。

いい服を着ることを全然否定するつもりはない。ただ、当時の僕は服に置いていかれすぎていた。いい服を着ることに全力をそそぎ、中身を鍛えることはかなり後回しにされていた。

 

当時の僕に、いい服を着て、そのあとで中身を追いつかせる。それぐらいの気持ちがあればよかったのだが、もちろんそんな気持ちは1ミリもなかったので、中身だけがものすごい勢いで置いていかれた。

 

それからというもの、なんだか服でのかっこよさなんてのはどうでも良くなって、自分が気に入った服を着ることに決めた。(なかでもTシャツはプリントTシャツの自由度が高いので、すごくいい。)3月のタイミングで、大学時代に買った服もたくさん捨てたり売ったりした。二束三文だったが、心は晴れやかだった。

 

服を考える時間も減ったことで、朝の準備も格段に早くなったし、自分が好きな服という基準で選んでいる以上、周りの目もあまり気にならなくなった。全てがいい方に向かっている。(モテるようになったかどうかは別として。笑)

 

この考え方に飽きるまでは、これからも僕が気にいるかどうかという基準で服を選んでいこうと思う。

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