最近、演歌歌手の徳永ゆうきさんがテレビの企画で歌った米津玄師の『lemon』がうますぎて、youtubeで狂ったようにリピートしてる。たまたまyoutubeのおすすめで上がってきたから見てみたのだが、これがすごくいい!(この動画見るまで原曲のサビぐらいしか知らなかったことはこの際秘密だ。笑)
演歌歌手ってやっぱ歌上手いんだなってのを再確認した(笑)
そして何よりも僕がこの動画を一押しの理由は、「あの見た目でその声がでるんか!」っていう激しすぎるギャップだ。(超失礼)
見たことない人はぜひ一度こちらで。
今日は朝から家の隣の小学校で行われた保育園の運動会のテント設営に駆り出された。ちょっとお小遣いが出るので、ここ数年手伝っているのだが、毎年思うことがある。
無駄が多い。
早朝から1時間半ぐらいかけて作業するのだが、毎年同じように立てるのだが、毎回同じことをあーだこーだ言いながら立てていく。まあ、これは地域のおじさんたちがわちゃわちゃ楽しそうにやっているので、それはそれでいいのかもしれないが。(僕は我慢できなくて途中で文句(いや、アドバイスと言おうか)を垂らしてしまうけど。笑)
でも、こういう光景って他の場面でもよくあると思う。結局、これまでのやり方を変えたくないという気持ちが、効率をよくすることによって生まれる楽に勝ってしまうからだろう。悲しいがそれが現実だ。
人間、変化が嫌いなのだ。中2理科の電気の単元で電磁誘導を教える時に、
「電磁誘導は『変化を嫌う』ことだよ。人間と同じなんだ。」
って言うのだが、まさにそうだ。
従来のやり方を変えることはめんどくさい。安心するし、何も考えなくていい。
実際、僕も変化を嫌う一面はある。
小中高生の時、僕は机が汚かった。普通サイズの学習机を与えられていたのだが、周りに教科書や文房具が散乱していて、ノート一冊を広げるのがやっとぐらいのスペースしかなかった。でも僕なりには片付いているつもりだった。物をなくすことはほとんどないし、見つけたいものもすぐに見つけられる。勉強だって自分の机でできた。僕にとってはかなりの安定状態だったのだ。
だが僕のお母さんは、我が家でも唯一の綺麗好きなので、小学生の頃なんかは勝手に片付けられていた。(片付けてもらったのに失礼。)口では一応「ありがとう」と言うが、僕にとっては全然嬉しくなかった。どこに何があるかわからなくなるのだ。そして2日後にはまた元の形に戻っていく。僕にとっては汚い状態が安定した状態で、それを変えられるのがめちゃくちゃ嫌だったのだ。(ちなみにその名残で今も塾の僕の机は汚い。)
これに関してはそんなに重要じゃない例だったが、変化を嫌う一面は時には悪になる。勉強なんかはいい例だ。
勉強なんて、長い時間やればいいってもんじゃない。実際、勉強時間と成績が比例するかっていうと、必ずしもそうとは言えない。多少の相関関係はあるが、完全に比例するわけではない。
これは残酷だが、現実だ。そして、自分が結構な時間をかけて勉強してるはずなのに、成績が思うように上がらない人は今すぐ自分のやり方を見直さないといけない。(そもそも自分にとっての長時間が他の人からしたらさほどなことだってあるが。笑)ある程度頑張り切って成果が出ないなら思い切ってやり方を変える勇気も重要だ。
まあ、人間は変化を嫌うからなかなかやり方を変えるってのも簡単じゃないんだろうけど(笑)