今日、博多駅の本屋に行った帰りに、電車に乗るために僕は改札を目指していた。
ところが、あまりにボーッと歩いていたもんだから、気づけばなぜか地下にいて飲食店街を歩いていた。
考え事をしていてそうなる人もいるが、僕はその時何も考えていなかった。
今日の例はただ余分に歩くことになっただけで、いい運動ができたのだが、時には何も考えずに行動するとよくないことがある。
学校の1ページノートでもそうだ。
本来は学習習慣の定着とか基礎学力の向上を目指して設けられたはずなのに、生徒の中には1ページノートを出すことが目的になっている人がいる。
英単語や歴史の語句を書き連ねてページを埋めること自体に意味はあるのかって感じだ。
もちろん書いた分は覚えるだろうが、penとか3回ぐらい書いたら覚えるだろ。
二行も書く必要ないだろ。
って思う。
信号だってそうだ。
元は安全確保や円滑な車の移動のために信号を守ろうというルールができただろうに、今では信号を守ることが目的になっている。
実際、日本より信号無視率の高い国よりも日本の交通事故率は高いらしい。
これはまさに信号を守ることが目的になってしまっていることを象徴しているだろう。
身の安全を守るための信号なのに、そうなってしまっては本末転倒だ。
(誤解のないように言っておくと信号を無視することを推奨している訳ではありません。)
何のための1ページノートなのか、なぜ信号を守らないといけないのか。
常に考える癖をつけとかないとダメだなぁ。