午前中に教科書を受け取りに行って、13時半ぐらいからずっと椅子に座ってブログ書いてるわけだけど、僕ってこうやって文章書くのが好きなのかもしれない。
人と話すのはもともと好きだったんだけど、文章書くのはそんなに好きってわけじゃなかったんだよね。
でも今思えば、かったい文章書くのが好きではないだけど、思っていることとか、考えていることを文章で人に伝えるのは好きなのかもしれない。
塾の先生っていう仕事もいいけど、こうやって文章書いたり、話したりする仕事も悪くないなぁと思い始めた今日このごろの俺〜。
今度時間がある時に何か始めてみようかなぁとも思ったけど、今度時間がある時って言っていたらいつになっても始められないんで、今から始めようかしら。
アフィリエイターにでもなろうかしら。
さてさて今日の3作目は、人との出会いについて。
春は出会いと別れの季節なんて言われます。
そんな出会いについて、今日は考えてみましょう。
出会いに関する僕の結論。
「出会いは重要だと思うけど、出会うことが目的になってしまった出会いほど無駄なものはない気がする。」
確かに人との出会いは、人を大きく成長させる可能性を秘めていると思う。
ただ、それはあくまでなんらかの目的があって出会った場合の話だ。
そうでなければ、ただただ時間とお金を無駄にするだけのような気がしてならない。
これは僕が大学生の時の話だ。
今、中高生のみんなも大学生になったらわかると思うんだけど、大学生ぐらいになると通称「意識高い系」と呼ばれる人たちが現れる。
意識高い系
SNS等で「#人脈を広げたい」などの書き込みをして、意味もなく人脈を広げることこそが価値ある行動だと思っている人たち。
byスミペディア
かくいう僕も若干意識高い系に憧れていたような時期があった。
きゃー、恥ずかしい。
なんの意味もなく、なんの目的意識もなく出会うことに、僕は全く意味がないと思っている。
小島よしおばりに声を大にして僕は言いたいと思う。
「なんの意味もない」と。
ちょっと古い。
誰かが何かで「学生時代の友人ってのは仕事の話抜きで付き合える貴重な友達だ」という話をしていた。
僕も確かにそう思う。
大人になってから知り合う人たちは、ほとんどが塾関係の人たちばかりだ。
コロナも影響はしているのかもしれないけど、大学を卒業して以降、仕事以外での友達はできていない。
特段、全然関係ない友達が欲しいとも思わないので、どうでもいいことなんだけど。
だからただ権力やお金を持っていそうな偉い人と出会いたい学生なんてものは、学生が会いたいと願っている人たちからしたら、仕事面においては全く興味ない人だと思うんだよね。
薄っぺらい何も残らない出会いが100回なら、僕は濃い出会いが2、3回の方がいいような気がするけどなぁ。
時間とお金ももったいないし。
「何をしたい」もっと言えば「自分がどうなりたい」があったうえで、人との出会いを求めたらいいんじゃないかなぁ。
僕は夢を叶えたい、一生懸命頑張りたいということを求めている子達なら、喜んで力になる。
カモーン。