今朝、天才的な文章を閃いたのだが、何を閃いたのかを忘れてしまったー!
思い出せなくて困ってしまっている。
はぁ、また考え直そう。
世の中に出て初めて、僕のアイデアは本当の意味で僕のものになるわけで、僕の頭の中に眠っている天才的アイデアは、僕の頭の中に眠り続けているのだ。
これはアイデアに限らず、全てのことに当てはまる。
世の中に出て初めて、頭の中のアイデアは形となる。
受験生が頑張った証も、点数に結びついて初めて認められる。
僕らは過程を認めてあげることはできるけど、君の志望校は認めてくれない。
だから頑張れ。
急に真面目な話になってしまったので、このまま真面目な話を続けようと思う。
たまにこんなことを言われることがある。
「いくらやっても覚えられません。」
「どんなに勉強しても成績が上がりません。」
こういうことに関して僕が言いたいのは2つ。
①君がいうどんなにやってもが、できる人からして本当に十分な量に値するのだろうか?
②それ言ったところで何か変わる?
①君がいうどんなにやってもが、できる人からして本当に十分な量に値するのだろうか?
もしも君が全力で勉強したとしよう。
いや、もしも君が全力で勉強したと思っていたとしよう。
「僕、今回のテストでは学校のワークを2周したんです!でも、点数が思ったより伸びなくて。。。」
2周やっても覚えられないのなら、3周するべきだ。
そもそも論として、2周目は1周目に比べてやり直しの数が減りましたか?
2回目も同じようなところで間違っているのならば、2周目はほとんど価値のない時間だったとしか言いようがない。
大声で堂々と自分は無駄な時間を過ごしましたと言っているようなもんだ。
つまり何が言いたいかっていうと、自分の中の基準で精一杯頑張ったと思ってない?って話だ。
みんな同じテスト受けるんだから、できる人基準で決めないとね。
君の中で100%の努力が、できる人にとっては60%ぐらいでしかないのかもよ?
②それ言ったところで何か変わる?
2つ目はまさにこれ。
「いくらやっても覚えられません。」
これを言う子に対する答えは2つだけ。
「じゃあやめるの?それとも覚えるまでやるの?」
基本的にみんな覚えるまで頑張るわけだし、結局覚えられるのだ。
覚えられないと思っている子にはそんなこと言わないのだし。
いくらやっても覚えられないんじゃない。
覚えられるまでやってないだけだ。
ということでがんばりませう。