僕は最近、気付いてしまったのだ。
気付いてしまったのだよ。
贅沢は相対的評価だということに。
そんなこと知っているよと言われるかもしれないけれど、僕も頭ではわかっていたけれど、最近はそれをすごく感じるので、今日はそのことについて書きたいと思う。
「ああ、贅沢してるなぁ」って思える時ってあるじゃないですか?
僕はある。
僕の家は、決して裕福とは言えない家だった。
九大出身ということもあって、よく勘違いされるんだけど、僕は家柄的には全然裕福な家庭ではないし、両親が高学歴というわけでもない。
うちの姉が、両親のこれまでの家系で初めて、大学に行ったぐらいな感じだ。
いいとこの出身とかでもないので、カップ麺や冷凍食品は食べなれすぎている。
両親も賢くて、小さい頃から苦労もせずにずっと勉強できたんですよね?なんてことを言われると、全く違いすぎてどこから反論していいかわからなくなるレベルだ。
誕生日プレゼントをもらった話とかを子どもたちから聞くと、羨ましいなって思うような感じだ。
高校生の時に付き合っていた彼女と行った祭りで、金がなさすぎて惨めすぎる思いをしたのも、今となってはいい思い出だ。
詳しいことは消し去ったが、もはやりんご飴なんかでさえ、高すぎて手を出せなかった。
帰りの電車賃、、、なんてことを考えていたような気がする。
高校生の財力なんて、ほぼほぼ親の財力じゃねーか!!!!
クソーーーーーーー!って思いはいまだに忘れられない。
だからというのもあって、僕は贅沢な生活に憧れていた。
塾が少しずつ回りはじめて、生きていけるようになってから、自分が使えるお金はほとんど自分のために使った。
いい肉も食べてみたし、回らないお寿司屋にだって行ってみた。
わからなさすぎて、寿司のちゃんとした食べ方をYouTubeで予習したぐらいだ。笑
高い鞄や服を買ったり、高いお店で飲んだりもした。
縁あって、気圧の変化で耳がやられてしまうほどに標高も値段も高い、いいホテルに泊まったこともある。
ドレスコードが必要なバーにだって行った。
自分が中学生や高校生の頃に、こういうことをしてみたかったなぁって思えることをある程度した感じだ。
お金持ちの人たちからしたら日常的に行われていることかもしれないけれど、僕からしたら全てが刺激的だったし、贅沢をしている感が凄すぎた。
でも、慣れって本当に怖いですわ。
高い肉は食べすぎると脂っぽさばかりが気になる。
いいお寿司だって、1度行ったところよりも高くないと興奮しなくなってくる。
ドンペリもスパークリングワインとの値段ほどの差が感じられない。
くら寿司の200円皿でさえ、100円の皿の2倍の幸せ感じられなくない?って思うと頼みたくなくなる。
200円の皿を1枚食べるなら、100円の皿を2枚食べた方がいいじゃんって。
だから思ったのだよ。
幸せは相対評価だなって。
いつも330円ののり弁食べてたら、400円の親子丼だって贅沢だし、450円のチキン南蛮が贅沢以外の何者でもなくなる。
家でいつもサントリーの角ハイボール濃いめ9%を炭酸水でめちゃめちゃ薄めて飲んでいたら、たまに飲む店のハイボールが高級な気がしてくる。
家で食うカップラーメンの5倍以上の値段がする店のラーメンは、超贅沢品。
幸せは相対評価なのだ。
いつも通りを高めると、幸せを感じにくくなるんだなぁ。
まあ、僕はまだまだ僕の基準を上げてから、落ち着こうとは思っているんだけども。笑