“You are the average of the five People you spend the most time with.”
by Jim Rohn
あなたがもっとも多くの時間をともにしている5人の友達を思い浮かべください。
思い浮かべました?
ん?僕?
ちょっと待ってくださいね。笑
5人って言われると難しいなぁ。
なんてことは良いとして。
冒頭の言葉は「あなたはもっとも一緒に過ごす時間の長い5人の友達の平均になる」ということを意味している。
その言葉通りの意味だけど、話し方であったり、思考の習慣、しぐさ、時間に対する感覚、はたまた年収なんかの要素までもが、そうなるよということを意味している。
簡単な例をあげると、
「いつも人の悪口や批判的なことばかり言っている集団に属していると、自ずと自分もそういう風になっていく」
であったり、
「頑張る集団の中に身を置いていると、自分も頑張れる」
ということだ。
これは大人とか子どもとか学生だとか働いている人だとかのそういう垣根を超えて当てはまるという。
実際に年収に関してはそういったデータもあるらしいからね。
僕も今の状況や過去を振り返ってみた時に、それを強く感じる。
例えば受験勉強にしてもそうだ。
「友達と勉強する」という言葉一つとっても、そこにはさまざまな意味があると思っている。
「友達と勉強する」という大義名分の元、8割以上の時間をみんなで集まってのおしゃべりに費やし、無駄に長い昼食の時間をとって、そこでもおしゃべり。
勉強が始まったかと思えば、集中力がない子がスマホを触り始め、、、、、
その空間には常に緩い空気が漂っている。
それに対して「友達と勉強する」というのは名ばかりで、友達と勉強するというよりは友達と同じ空間で勉強するというほうが正しいだろうか。
ちょっと心が折れかけた時に、頑張っている友達の姿をみて、もう一回頑張り直す。
その空間は常に空気が張り詰めていて、ドアの開け閉めさえ気を遣う。
これ、僕はどちらも経験したことがある。
高校1年生ぐらいの僕は前者だった。
「後者ですか?」
「いえ、全然前者です。」
「前前前者!!!」
、、、、、すみません。
テスト前の土日に自分らで決めた朝9時の自習時間にはほとんど集まらず、来てもひたすら喋り続ける。
そして学校近くのジョイフルにドリンクバーとポテトでひたすらステイ。
話のネタは尽きないが、財布の中身だけが尽きて撤退。
学校でジョイフルの続き。
みたいな感じだった。
高2の冬ぐらいからはガラリと変わり、ただみんなが同じ空間で勉強するだけといった感じだった。
トイレが被った時に挨拶をかわす程度だったような気がする。
なんてことをずっと書いていくと果てしなく長くなりそうなので、今日はこの辺で終わろうと思う。
何が言いたいかと言うと、自らが環境を作っていて、環境が自らを作っているということだ。
たとえどんなに仲が良い友達だとしても、目指している方向性が違うのならば、距離をおくのも一つの手かもしれない。
本当に仲が良い友達なら、その辺もきっと理解してくれるだろう。
関わっている友達5人の平均値になっていくということを、ちょっと意識してみては???
ではではまた明日。