• 福岡市東区香椎にある、小学生、中学生、高校生を対象とした進学塾

塾選び論(その0)

昨日のこともあったので、あれから色々と他の塾のブログも漁ってみた。その中で意外と多かったのが、塾の選び方的なやつ。僕もだんだん書くネタを探すのが面倒になってきたので、今日はとりあえずそのネタをパクって書こうと思う。パクリは僕の十八番だ。ただ、その話に入る前に、今日は、僕がどんな塾に通っていたのかを書いた『塾選び論(その0)』をお伝えしたい。

 

僕が一番最初に塾に通い始めたのは、小学校6年生の時だ。当時中学3年生だった姉が通っていた塾で、普通のおばch…お姉さんの先生に習っていた。塾といっても名ばかりで、その先生が家の一室を塾にしていただけなので、生徒も1学年5人が精一杯だった。広告も看板も出していない、正真正銘の口コミだけで勝負している塾だった。ホームページなんかももちろんなくて、実績も公開されていないので、その塾の実績も知らない(笑)

趣味はパチンコとお酒、当時の愛車はジャガーというなかなかファンキーな先生で、僕らの月謝は全部パチンコに消えていたらしい(笑)ガキンチョだった僕らには、その先生のパチンコやお酒の話が刺激的で話を引き出すのが大好きだった。(もちろん普段は普通に授業をしている。)

僕の塾では自習室を常時解放しているものの、そこは家が塾だったので、授業の時以外は絶対に来るなと言われていた。勝手に来てもオートロックの時点で追い返す宣言をするハチャメチャっぷりだった(笑)

そんな変な塾だったが、僕はそこで中学3年生まで過ごした。自分で言うのもなんだが、「通知表や成績見せれば安くなるとこあるよ」なんて誘いはあったが、そこは問題じゃなかった(親からしたら料金は気になったかもしれないが)し、その塾の先生が好きだったので、4年間ずっと通い続けた。

僕らの一個下の学年の卒業まで見送ってリタイアしたらしく、今はジム通いをしているという噂がチラホラ。

 

そこから高校1年生の間の1年は、塾に通わなかった。この一年は、中学生以降、もっとも勉強しなかった学業面での暗黒時代だ。これは今度機会があったら、話したいが、俗に言う『高校受験燃え尽き症候群』にかかったので、勉強することを放棄した一年だった(笑)

 

そして高校2年の時に、みかみ先生に出会った。

金髪で柄物のジーパンにスカジャンみたいなのをきていたので、最初はマジでヤクザかと思った。小道を入ったところにある塾に連れて行かれる時は、臓器を売られたりするのかなって考えてた。

「死ぬ間際に人間は走馬灯のように思い出が蘇るというが、まさにこのことか。。。」

的な感じだ。ただ、この話は何度もしている気がするので、省略する。(そんなに話してない気もしてきた。)そこから3年の受験まで通い続けた。

 

その後は、高3の9月から12月にかけての4ヶ月間ほど、高校地理業界では知らない人はいないというほど有名な先生の授業を受けた。

金髪(どうやら僕は金髪の先生が好きらしい)でレザーのジャケットをきていて、胸ポケットにはバラの花を指していることだってある。(もちろん授業の時の服装。)というかだいたいこういう服装。すごい時なんか、ジャケットがショッキングピンクだった(笑)

ただ、これに関しては、若干親に申し訳ないことをしたなと思っている。

なぜなら、確かに当時の僕の地理の点数は悪かった。センター試験だけしか必要なかったのだが、高3の夏当時は点数が3割ぐらいだった。

だが、短期間でセンターの点数ぐらいならどうにでもなるとも思っていた。単に、その先生の授業を受けたいという理由だけで受講したのだ(笑)

結構な費用がかかったと思う。これには感謝しかしていない。

 

そして最後に大学生になってから、アルバイト先の塾を選んだ。(これも塾選びに入れてしまっていいのだろうか。笑)

当初は、高3の時に通い始めた大手予備校にチューターとして申し込む予定だった。通っていた時に仲良くなった大学生の先輩もいて、その人にも誘われていたので、完全にそこに入る予定だった。履歴書も志望動機までしっかり書いていた。

そんな時に、みかみ先生経由でだったか忘れたが、完全個別NiCOのお誘いがあり、話だけでもと聞きにいったら、アルバイトになっていた(笑)

そうして大学4年まで在籍し、大学もアルバイトも卒業した春に今度は自分で塾を作り、今に至る。

 

大手予備校からマンションの一室の超小さな塾まで、いろんな塾を経験したが、全ては『人ベース』での選択だったと思う。塾に限らずだが、魅力的な人のところに人は集まる。

塾なので、もちろん勉強も習っていたのだが、それ以外のこともたくさん教えてもらった。むしろそういう話の方が今でも僕の心に残っている気がする。

 

ここで突然話が変わるのだが、前に、アルバイト時代に三年間ほど教えていた卒塾生と、僕の話の中で何が一番思い出に残っているのかという話になった。(正確には僕が聞いたのではなく、他の先生が聞いた。)

その答えが、、、、

 

 

 

 

 

『僕がゲイバーに行った時の話』

だったのだ。

あの時のことは今でも覚えているが、かなりショックだった。

「いや、もっといろんな話したよね?」

「ほら、結構『頑張ろうね』系の話もしたじゃん!」

「もしかして俺がゲイだと勘違いしてる?」

「いや、そりゃ確かに楽しかったけども。(お店として。)」

などなど、怒涛の勢いで畳み掛けたはず。興味本位で行ったゲイバーだったので、ぜひ中学生の彼らにもその話をしようと思って軽い気持ちでした話が一番心に残っていたらしい。

 

 

でも今思えば、そういう刺激的な話の方が記憶に残るのは当然だ。

僕もそんな刺激的な話をする大人たちを好んでついていった。

その人が口先だけでなく、本当の意味で面白い人かどうか。これが僕の塾選びの基準だったのだろう。

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