• 福岡市東区香椎にある、小学生、中学生、高校生を対象とした進学塾

不純な動機

僕は、頑張るための動機は不純なものであってもいいと思っている。

 

「お医者さんになって世の中の人たちを救いたいです。」

「弁護士になって困っている人たちの力になりたいです。」

 

たしかに、これらの夢はすごく立派だ。

今、このように立派な夢を持っている子どもがいたら、それは胸を張っていいと思うし、声高々に宣言をして、夢の実現に向かって頑張って欲しいと思う。

 

でも多くの子どもたちが、そのような夢は持っていないのではないだろうか。

むしろ、そういった立派な夢を持たなければならないという強迫観念じみたものに、夢を持つことを制限されてしまっているのではないだろうか。

 

 

そうやって自分のしたいこと、なりたい自分が制限されてしまうぐらいなら、僕は不純な目標でもいいから、持つべきだと思っている。

 

例えば中学生で考えてみよう。

〇〇高校に行きたいとなったときに、ただ漠然と行きたいというだけならば、なんでもいいから理由があった方がいいと思っている。

 

「親や親戚に褒められたいから。」

「頭がいいって思われたいから。」

「そこの高校に行ったらモテそうだから。」

 

まあ、なんだっていいのだ。

それで頑張れるのなら。

 

 

だから今、立派な夢がなくて困っている子も、それで悩む必要はない。

「とにかくお金持ちになりたい」

「アイドルと結婚したい」

「仕事はほどほどにして、自分の時間を大切にしたい」

「幸せな家庭を築きたい」

「自由が欲しい」

 

 

なんでもいいのだ。

とにかく自分のしたいことに向かって頑張ってみよう。

 

そうすることで、目標を達成するために君は行動するだろう。

そしたらちょっといい方向に変わるかもしれない。

 

お金持ちになりたいと思っているのなら、お金持ちになるための行動をするだろうし、アイドルと結婚したいなら、アイドルと結婚するための方法を考えて行動するだろうし。

 

 

崇高な目標なんてなくても、君が動き出すための動機が何か一つでもあれば、君は行動を始めて、ちょっと変われるんじゃないかな。

そしたらまた、見えてくるものが変わって、またやりたいことが新たに見えてくるかもしれない。

 

 

だから今日の僕が言いたいことは、何かを始めるのに立派な理由はいらないということ。

立派な理由がなくて始められないのなら、なんでもいいので何か理由を見つけて、まずははじめよう。

 

とにかく始めることが重要だ!

では、今日はこれにて〜。

 

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